WORKS> TEXT WORK>デジタル・イメージ考 ~ on the digital

デジタル・イメージ考 ~ on the digital  (多摩美術大学研究紀要論文 2008年4月)

 


人類は洞窟絵画の時代からイメージより多大な影響を受けてきた。イメージは礼拝的な対象として仰ぎ見られた時代から、印刷による複製、写真術の発明、さらに映画からテレビへと、配置される空間を拡げてきた。イメージの多くは現在デジタルのデータとなり、コンピュータで扱われ、ネットワークに配置されている。
 本稿ではデジタル化されたイメージがどのような状況にあるのか。どのように社会と関係性をもち、我々の知覚を結ばせているのかについて論考する。最初にデジタルテクノロジーによって近年に形成された新たなイメージの場所「ネットワーク」「携帯電話とデジタル写真の関係」「テレビゲーム」「CGI」についての考察を試みた上で、19世紀のメディア革命や現在のデジタルテクノロジーを再考することからデジタル・イメージの本質を読み取ろうと試みる。
 150年余り前に登場した写真術は人間の記憶のあり方や無意識の存在を明らかにした。そして創造性のあり様を変えた。我々は現在情報構造の中に内包され、知覚と認識の様式が再配置されている。
 内包された我々の眼から、いったいどのようにすれば現空間の全体像、あるいは余白や地となっている部分が感知できるだろうか。アナログ対デジタルといった二局対立の理論だけではデジタル・イメージの本質は見えてこない。
 前記したトピックスを踏まえつつ、デジタル・イメージを作り出し提示するための技術や環境の面から、デジタル・イメージが我々の社会や身体や意識にどのような影響を与えているのか、また人間の知覚や外部世界の認識について、いくつかのデジタル・メディアの研究を参照にしつつ再検証してみると、意外にもデジタルがアナログ的感覚を強化して
いることが見えてくる。
 現在のイメージは礼賛や鑑賞の対象から、情報として記号的に機能するものになっている。イメージの多くは機械と人間の間に配置され、その間は人的な振る舞いとしてのインタラクションでつなげられている。デジタル・イメージの状況を読みとき有効に利用していくためには、これまでの我々の記憶や意識について思考するだけではなく、身体と経験についての深い考察が必要であることが理解できる。

 


| TOP PAGE | PROFILE | WORKS | DIARY | |
| GO TO ENGLISH PAGE |