亀と私

スケルトングッズとしてのカメ特別付録-カメの中身を見てみよう!カメ開きカメの食生活カメの住環境
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スケルトングッズとしてのカメ ~亀、外に骨をもつモノ

異MAC(まちがい)I-MACが発売になってから3年が経つだろうか?あのデザインが発表されるまで、いったい誰が透明で中身が透けて見えるパソコンなどイメージして、そのよさなんか考えることができただろう。I- MACのデザインにおいて、アップルの凄いところは、このデザインが、近未来系というイメージの借り物としての発想ではなく、限りなくヒューマンインターフェースとして、人に対し身近な機械としてのデザイニングであること、つまり、スケルトンデザインで中身を裸にすることで、ブラックボックスがもつ厳ついカンジ、拒絶感や不安感を取り除いた点にあるだろう。あの背中に付いている持ち手部分だが、もって歩くことも移動させることもできないのに取り付けられているあのハンドルだが、ドアノブがあれば開けようとする人間心理「アフォーダンス理論」に基づいて付けられている。つまり、あのハンドルは手や腕という身体の延長上に存在する、機械ではなく器や道具という意味を与え、モノとしての安心感をパソコンにもたせている。

つまりI-MACのデザインには、すべてにおいて意味が含まれていて、かっこよさやステイタス性がその後に付随しているわけだ。このI-MACのデザインコンセプトを理解することなく、その後多くのモノのデザインがスケルトン化され商品化されたことは周知の事実だが、その口火を切ったアップルデザインを評価するなら、この意味性を考えるべきなのだ。よくよく考えてみると、スケルトンデザインとうのは、I-MACから始まったわけではない。たとえば使い捨てのボールペンなど、インクの残り量が視覚的に把握できるようなプロダクトデザインはかなり昔から、我々の生活に取り入れられているのだ。I-MACのデザインにおいてアップルを評価する第2のポイントは、簡単にいってしまえばその斬新さにあるだろう。今日のプロダクトデザインの多くはマーケティングとリサーチが優先される。最大公約数としての消費者のニーズがデザインや商品に反映されるわけだ。たしかに、このシステムは無駄がなく生産者(メーカー)と消費者(カスタマー)両者の利点にかなっている。しかし、どの様なシステムにも矛盾がある様に、このマーケティングとリサーチが優先されるシステムの場合、一般大衆、一般的な社会生活者という市民を前提とした市民至上主義が根底にあることになり、つまりは凡人的感性の価値観を優先してしまうわけだ。これでは、いままでに社会的に認められていない新しい価値観や感覚は少数派として切り落とされてしまうわけで、たとえば天才的な指導者の個人的なアイデアなどが入る余地を奪うわけである。この点においてアップルがI- MACで見せた市場を引っ張っていく姿勢は最大限の拍手をもって評価するべきではないだろうか。

さて、ここからが本題、このコーナーは小難しいデザインのウンチクを書く場所ではなく、あくまでもカメについて思考し、よりカメの神髄を理解するためにあるのだ。

I- MACに代表されるスケルトンデザインは、その後も我々の生活を彩る様々なグッズで施されている。このスケルトングッズというのは造語で「透ける」と「スケルトン(骨)」を掛け合わせていることは説明するまでもないだろう。この中身が透けて見えて、かろやかさや安心感が与えられるデザインの対極にあるものがカメと考えることもできるだろう。堅く、中を垣間みることもできず、その上、外部に晒されている部分さえも、中にひっこめてしまうのがカメなのだ。カメは「グラスノスチ」も「ガラス張りの政治」も「アフォーダンス理論」も「透明性」にも関係なく、「KGB」や「鉄のカーテン」や、未知なる「暗黒大陸」で、「隠蔽された」「有明湾の防波堤」の様に対極な存在なのだろうか。この問題を考える上でもう1つの事実を理解する必要性がある。それはカメのあの甲良の部分は骨であるということだ。その進化の過程で、恐竜たちが敵から身をまもるために突起した骨としての角や背中のとげをもち、その中でも弱い種の一部が、体のより広い範囲を堅い骨で覆うという形状をもつようになった。その末裔たちこそ我々の足下でちじこまっているカメたちなのだ。外骨、外に骨をもつ生き物、それがカメであり、その形状は、我々が知っているスケルトングッズとはまったく反対の意味性においてスケルトンな生物なのだ。この事実を考えるなら、ただカメを透明性のかけらもない、反スケルトングッズ的生き物と考えることはできないのだ。「骨さえも露出してしまえば、怖いモノなし、だからその中に引きこもることで生きていけるカメ自身の安心感」こういうアンチテーゼをもってすれば、カメ以上に透明性があり、スケルトン度の高いモノはないのかもしれない。

ネガフィルムの反転がポジフィルム(正像)だ。我々はこの様なことからもカメから学ぶことを辞めてはならない。

(2001/01/30)

つづく

  


「あれ、佐々木君ってデジカメもってたんだ!」と、このページのカメ写真を見たマネー ジャー三宅治子ちゃん。いいえ、カメの写真なんか、どのカメ見てもいっしょでしょ。素材のサンプリングなので、うちのカメじゃないのがほとんどですよ。

(2001/01/31)

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特別付録 カメの中身を見てみよう!

貝にまつわる様々な画像とテキストを公開している三宅治子ちゃんのホームページに触発 されて、私のページでもカメの中身をみれるページをつくりました。

 

 

(2001/02/10)


カメ開き-1

ここのところの春めいた陽気に、わすれられているが、この冬の東京は瞬発的に寒い日が 多かった。1月中旬にベランダに置かれたカメの水槽には厚さ1センチ以上の氷がはって いたのだ。そのためだけではないが、カメを部屋のバケツにいれて以来、寒いベランダに 戻すタイミングを逸してしまい、ずっと室内でカメを飼っていた。とはいえ暖かい室内に いれてしまうと冬眠から醒めて活発に動き廻るカメたちを狭いバケツに入れておくという のは、グリーンピースに相談するまでもなく、気がとがめてしまう。とうとう浴室のバス タブに放水した。普段はシャワーで済ましてしまうので問題ないのだが、バスタブに漬か りたい時だけカメをバケツに移してまんべんなく浴槽を掃除して入浴するという状態が1 ヶ月も続いていた。そんなカメと私の今期越冬期間だったのだが、数日前から続いている 4月上旬並という暖かさで踏ん切りをつけて、ようやくカメをベランダに戻した。浴槽で 間抜けに泳ぐカメたちを見ながらシャワーが浴びれる期間は「カメの湯」と呼んでいたう ちのバスルームも、ようやく日常的なバスルームに戻った。
あと1ヶ月ほどすれば、「カメ鳴く季節」が「春」が到来。

(2001/02/23の日記より)

つづく

カメの湯の模様

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カメの生活 〜食生活〜

ペットを飼う場合、その種類に併せて様々なペットフーズが用意され売られている。犬に は犬用、猫には猫用のペットフードがあり、同じようにカメにはカメ用の餌がある。そし て、犬や猫なら、ドギーマンとかビタワン、クリスキー・モンプチといった専用餌のブラ ンドがある。人間ならば、旨くなくてもイメージがよければある程度は売れてしまうとい う広告効果もあるが、ペットフードの場合、飼うのは人間だが、喰うのはカメなので、そ んなイメージ戦略効果だけではなく、カメ様が気に入ってくれないと売れないのである。

そんなカメの餌や水性生物の餌や様々な飼育用具を販売しているメーカーにドイツ・テト ララベケル社がある。うちのカメがご愛用されているのもテトラ社テトラ・レプトミン という沼カメ専用の餌だ。テトラ社の製品は、最近フェザー株式会社と合併したワーナー ・ランバート社が日本における輸入販売を行っている。このテトラ・レプトミン以外の餌 を購入したことが何度かあるが、どうにも食べてくれない。カメの味覚など理解できるは ずもないが、レプトミンだとよく食べる。

さすがドイツ人特有の職人気質(マイスター魂)だと納得もする。ちなみに、ドイツ人よ、 おいしいカメの餌が作れるんなら、人間様がたべるドイツ料理もおいしくできそうなもの だが、あれは不味いぞ。

このうちのカメご愛用のレプトミン以外で、うちのカメに食べさせたものといえば、主に 残飯といえるようなモノだが、出前でとったお寿司のネタとして、穴子、イクラ、サーモ ン、海老などがある。イクラは旨いらしく、延々食べていた。また、鶏肉も細切れにして 与えたことがある。とりあえず、なんでも食べるし、食べても困ったことにならないとい うのが、飼い主である僕の印象だ。

以前カメの他にナマズを飼っていたことがあるのだが、この時期にはナマズの長期的餌と して金魚を購入していた。その手のペットショップにいくと、餌用の金魚というのが売ら れているのだ。金魚だと、生きているわけだから、水槽にいれておいても腐らない。ナマ ズも好きなときに食べれるわけだから、かなり都合がいい。

この金魚を10匹くらいカメに与えてみたこともあるのだが、水槽に入れたとたんに追い かけだして、30分後には、いったい、どこに消えたんだろうというくらい、10匹の金 魚はあとかたもなく消滅していた。むろん2匹のカメの胃袋に消えたわけだ。金魚と同じ く生き餌佐として与えたことがあるのが、私が食べるために飼ってきたドジョウ鍋用のド ジョウだが、このときも金魚同様に、跡形もなく消えていた。

金魚やドジョウ、そしてレプトミンを食べているときでさえ、彼らの食事の模様をみてい ると、裏寒いような恐ろしさを感じる。猛獣というのは、我々人間よりはるかに力が強く、 その獣の食欲の対象になった場合、太刀打ちできない、つまり死をイメージさせる動物に 与えられている名称であり、彼らの力の強さが我々を勝る場合に付けられる名称だと思う。 だからどんなに貪欲であっても小動物には猛獣はいない。

彼らの食事の模様をみていると、裏寒いような恐ろしさを感じるのは、もしこのカメたち の水槽に小さな自分が入ったらどうなるか?なんて考えるせいかもしれないが、彼らの獰 猛で迷いのない食の姿勢は、そんな妄想を起こさせるに充分な迫力がある。

*リンクされたテトラ社ホームページはテトラベルケではなく、別のテトラ社です(笑)

(2001/03/23)

つづく

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カメの生活 ~住環境編

ネットで様々なカメペットユーザー(?)のページを見てみると、あまり代わりばえしない内容にうんざりする。だいたいが、買い方・餌のやり方・管理・環境といった、飼いか たに関する説明と、うちのカメ写真という内容で代わりばえしないのだ。親バカ子供養育 日記ページと同じベクトルで作られているのがほとんどで、とんでもない内容にお目にか かったことがない。そしてよくあるのがを自慢のカメの置物コレクションの画像とキャプ ションだが、これに関しては、僕も集めているので、あまりえらそうなことは言えない。 とはいえ、たとえば、こんな劣悪な環境でもカメは生きてますとか、こんな残酷な飼い方 しているけど大丈夫ですとか、カメのバイ菌はこんなに危ないといった報告でもあれば興 味深く読めるだろうが見あたらない。また、飼い方など住環境についても、カメの快適さ と、見た目のよさで決められた話ばかりで、「俺はこう思うんで、こうしている」的なコ ンセプト重視の内容がないのである。なぜカメを飼うのかと問われれば、「好きだから」 と答えるだけで済むだろうが、では、どうカメを求愛するかという点を突き詰めなければ、 真の自己のフェティシズムは見えてこない。いや、見えなくていいんだけど、見れるんな ら見たいと思うのである。少なくとも僕の場合。

今回はカメの住環境について、

で、うちの場合はというと、前期した「カメのシーズン」にあるように、カメは意識しに くいペットであり、無理に意識できる構造を用意しても、無駄に終わるということを前提 とした関係を重んじている。だから、万が一、カメが死んでいても仕方がないという覚悟 をもって飼育に望まなければならなのだ。たまに覗いてみると、「あっ、いた。生きてる」 ということが常に事件性を帯びた感動でありえるという、ゲームのシムシティーやシムア ントを行う自分のエゴのために整えられた環境でなければならない。とはいえ、もちろん 命の尊厳を重んじた上でのプレィであることが、フェティズムの習わしであり、生命の存 続が保証されていることは最優先されなければならないのだから、僕のカメ飼育はよりテ ンションのある行為あり、デンジャラス・ラブなのだ。

そんなわけで、ベランダに用意されたカメの家というか、水槽には美しかったり、大自然 を喚起させるような箱庭的デコレーションもなければ、彼らが、より快適に過ごせるため の陸などはない。最低限生命を維持するために必要な水かさがまかなえる深さの水槽、そ れも、自分が行わなければならない、面倒な水かえ作業を限りなく少なく、簡単に行える ことを前提として用意されている。また、彼らにとって必要不可欠なコウラ干しを行うた めの陸地も、生きようという意志と勇気があるならよじ登れといった程度のやさしさでし か準備されていない。だから、むろん、水槽の中に隠れる場所など用意されていない。

こうやって書いていると、僕が用意している、彼らのための住環境とは、飼い主とペット の関係で約束されたコロニーではない。だからコロニアル美術もコロニアル建築も、コロ ニアル文化もない。それは牢・牢屋であり、そこから生まれでるのは、スレーブの文化で あり、奴隷生活の様式なのである。聞こえてくるのはゴスペルやブルースかもしれない。

たとえば、美しいお姫さまが座敷牢や石作りの塔に監禁されて、魔王さまの極悪卑劣な愛 情の対象とされているとか、大地主さまの牧場の牛小屋のとなりに設けられた黒人奴隷の 宿舎とか、収容されたジューリッシュたちが縦縞の囚人服を着せられて収容されているよ うな環境をイメージしてみて欲しい。それも、搾取・迫害されている立場ではなく、施行 している立場か、優位な側に限りなく近い状態でイメージしてもらえると理解しやすいか もしれない。真の文化とは、必ず搾取する側に花開くものなのだ。

うちのベランダに用意されているカメの住環境(檻)は、90センチ×45センチで高さ が50センチくらいの大きめのFRP製の白いプランターである。よく街路樹が植えられ てたり、喫茶店の間仕切りに使用されているプランターだが、これに土をいれる代わりに、 セメントを混ぜるために使用するプラスチック製の大きめのバットを入れている。むろん 水槽として、水を溜めるためだ。バットの長編が小さいので、プランターの方が10セン チくらい余分にあまってしまう。そこに切り出して作ったピッタリの大きさの発泡スチロ ールをはめ込んである。その上に人口芝を貼りつけてカメのコウラ干し用の陸地にしてあ る。面積的に一匹しか上陸できないので、2匹が重なり合うようにして天気のいい日には コウラ干しを行う。その様子を飼い主として、哀れさと、支配者の傲慢さをもって楽しめ る。使用しているバットと、プランターの高低差で高さ10センチくらいの塀ができるの で、カメは逃げられない。カメはよじ登れないのだ。しかし現状では大きくなってしまっ たうちのカメなら脱出は可能だ。そのせいで今までに2匹のカメが逃げている。だから、 プランターの上を覆い隠せるネットを置いている。これは、東急ハンズで購入した窓サッ シ様の網戸素材を利用して作ったもので、この網のおかげで牢獄感がいっそう増している。

水かえだが、ほとんど水性動物の飼い方なら、必ず書かれていると思うが、「命の水なの で、カルキを含んだ水道水は使用しないで、カルキ抜きの薬品を使用して3日程度放置し てから使用しましょう」といった、めんどくさいことはいっさいしない。用意された水道 ホースをバスルームの蛇口につないでドボドボいれる。それで生きているんだし、汚い水 よりはマシなので、それで問題ないのだ。カメは文句を言えないのでなにも言わない。

以上がうちのカメの住環境であり、僕のコンセプトにそったカメの飼い方である。とはい え、問題がないわけでもない。カメが大きくなってきて、逃げ出す可能性も増えているし、 大きさに比例して水を汚すのも速いので、水かえが面倒になってきている。そのため、3 年前から水槽を替えたいと考えている。近所のガス屋さんの前に捨ててある粗大ゴミの浴 槽(人間用)を貰ってきて、それを使って、より逃げにくくて、水替えが楽なカメ住居を 構築するというのが、もっかのプランなのだ。めんどくさくてやっていない。

(2001/04/05)

つづく

うちのカメ 大きさがわかるようにタバコを置いてみました。

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